タイトル未定

NEWS中心に忘れたくないことを

夢の国へ行ってきた。そこで見つけた希望の光

お題「私のNEVERLAND」

終演からすでに1ヶ月近くがたってしまったがどうしても残しておきたいものだけ断片的に書いておこうと思う。

6月10日私が人生で初めて経験したライブはとても楽しく美しいものだった。

はしゃぐことが苦手な私は始まるまでライブという空間を楽しめるのか不安だったが、そんなものは全くの杞憂だった。映像が始まり汽車が走る高揚感、NEWSの登場に一気に湧いた会場、光るペンライトの星空、目に映る全てが新鮮で夢中になって楽しんでいた。

楽しい時間は早く過ぎると言うけれど本当にNEVERLANDでの体感時間はあっという間で、流れ星を聞きながらもう少し、まだ終わらないでと繰り返し願っていた。

 

あやめ

あまり記憶力のよくない私はもう断片的にしかライブの内容を思い出せない。しかしいまだ脳裏に焼き付いて離れない光景がある。

それは加藤さんのソロ曲「あやめ」でリフターを駆け上がるシーンだ。

 アルバムNEVERLANDが発売されてから私はずっと「あやめ」について考えていた。私なりにこの曲について答えを見つけたくて、なかば意地のように誰のブログも「あやめ」だけは読まなかった。言葉にできないことが悔しくて、寂しくてたまらなかった。

ある晩、この曲は私にとって概念であり言葉にしないことが私の答えだと結論づけた。だからこそライブで見るのはまたわからなかったらどうしようと不安と期待が入り混ざって少しだけ怖かった。

あやめが始まり痛くなるほど拳を握りしめて、何かをみつけるためじっと見つめていた。あまりはっきりと見える位置ではなかったがモニターではなく本人を見ていたかった。

加藤さんがリフターを駆け上がったそのとき、私の中で何かが弾けた感覚がした。どこまでもどこまでも上って行って、しがらみも何もかも破ってあなたならきっとできるから。加藤さん越しに私は希望の光を見ていた。席の関係上ちょうどライトがあたって見えたような気もする。

ファンになってからずっと加藤さんのような大人になりたいと思っていた。光を背負った加藤さんを見て、カミサマみたいな加藤さんを見て、あらためてずっとずっと遠い人なのだと気づいた。私は彼のようにはなれないけれど、貰った希望と幸せを持って彼に恥じないように生きたいと思った。

泣いている加藤さんを見てたまらなく好きだと気づいたあのときより、あやめの加藤さんが大好きだった。人間臭い弱さと、世界の扉をこじ開けるような力強さを持った「あやめ」は私が好きな加藤さんそのものだった。この曲を作って歌ったのが加藤さんで本当によかった。あやめの本質的な意味なんて私にはわからない。それでも純粋に好きだという気持ちでいていい、とこの曲を通じて肯定されたような気がする。生であやめを見ることができてよかった。

私は自分で思っていたよりもずっと加藤さんのことが好きだったようで、公演後同行してもらった友人に加藤さんが抜かれるときだけモニター振り返ってたねと言われた。完全に無意識の行動でした。

 

U R not alone

初めて聞いた時私はこんなに強くは生きられないと思って泣いていた。きっとライブで歌うだろうから覚えなくては、と何度も聞くうちに徐々にこの曲が好きになった。

「将来の夢は」と聞かれて「死ぬときにそれなりに楽しかったと思える人生を送ること」と応えるほど私には具体的な夢がない。夢のために頑張ろうなんて思ったこともない。そんな私でもこの曲を聴くとちょっぴり勇気を貰える気がするのはなぜだろう。当たり前な日常生活を送るということがしんどくなる私にとって昨日までの自分がついているというのはもの凄く心強い。昨日できたから今日もできるかも 、大した変化のない日常が今日の私の自信に繋がるなんて思ってもみなかった。

 “きっとその空間は幸せに溢れていて、私が見たいと思ったNEWSのライブそのものなのだろう”ライブを思い浮かべて以前レビューにそう書いたが*1実際に私が目にしたライブはそんな甘いものではなかった。

ファンの声を聞くためイヤモニを外した姿、涙を零して歌えなくなった増田さんを支えるメンバー、吠えるような彼らの歌声を聴いたら伝えなくてはという思いでいっぱいになった。こんなにも楽しい空間を創ってくれて、日々生きる力をくれて、NEWSでいてくれてありがとう、感謝の思いをどうしても届けたかった。あなた達を応援しています、大好きです、頑張れ、溢れる思いをのせて歌った。こんなにも幸せや希望を貰っていてどんな不満があるというのだろう。彼らが歌ってと言うのだ、泣きそうになる暇なんて私にはない。歌うことが直接彼らに何かを渡す唯一のチャンスに思えた。あなた達の味方が、ただただ幸せを願うものがここにいます。周りの声が耳に入らないほど必死だった。終演後燃え尽きてうわごとのように小さい声でNEWSコールをした。アンコールがないことを知っていたが何となく呼ぶ必要があるような気がした。退場案内の方が出てきてあきらめてしまったけれど。

ひとりで勝手に戦っているような気分になっていたから、オーラスのレポを見て私は静かに泣いた。手越さんが泣いたと聞いて彼にもちゃんと応援している人がいると伝わったのだろう、安心や感動の涙だったんだろうと思えた。カーテンコールとファンによるURの自然合唱でNEWSの味方はファンはいっぱいいて、きっとNEWSに思いは伝わっていると思えて安心して嬉しかった。

ツイッターではNEWSに関することは好きということだけ書こうと思っていたので黙っていたけれど本当はずっと不安で怖かった。小山さんのことがあって検索を使わなくなり、むやみにRT先やフォロー外の人をのぞかなくなった。なるべく思うままに好きだと叫ぼうと思って、どうでもいい人間の意見を聞いて気を病むのは無駄だと思って手越さんのときはほとんど情報もシャットダウンしてなんの感情も抱かなかった。私がNEWSを、小山さんや手越さんを好きな気持ちは1mmも揺らがないから傷つかないと思っていた。それでも私はそんなに強い人間ではないので自分でも気がつかないうちにしっかりと傷ついていた。

オーラスに入ったNEWSファンのおかげで私の心が少し軽くなりました。ありがとうございます。

 

見つけた希望の光

NEWSを眠りから覚ますためファンが踊り、愛のお返しとして掲げたペンライトを点灯させる演出があった。NEVERLANDにおいて「光」は希望をもたらしてくれるエレメントだった。光は希望で愛であるとNEWSが教えてくれた。手には届かない場所で輝く彼らは私にとって夜空の星のような光そのものだった。ペンライトを手に持つ私もNEWSにとっては光だと、愛の対象なのだと言われたような気がしてとても嬉しかった。NEWSとファンは確かに相思相愛なのだとわかった。

私にとって加藤さんは暗闇で見つけた灯りのような人で、NEWSは日常で見つけたキラキラと輝く木漏れ日のようなものだ。どちらも私の光で見ていたくなる存在だ。きっとこの想いに名前を付けるならば愛でしかないのだろう。

 ほとんど周囲の様子なんて見ていなかったけれど、恋のABOのとき振りが見たくて隣のファンを少しだけ盗み見た。もの凄く幸せそうないい笑顔でステージを見ていたことが印象的だった。こちらが微笑ましくなるほど素敵な表情で、これこそアイドルが為せる技なのだと思い知った。

 

私がNEVERLANDで見つけたものは愛という名の希望の光で、あらためてNEWSが好きだというシンプルな思いだった。人間の彼らが創り出した夢の国はどこまでも美しく、儚く、生きた幸せの空間だった。アイドルをNEWSを応援することは間違いなく楽しくて幸せなものだ。NEVERLANDに行けて本当によかった。

ちなみに、初めてのライブが一人なのは不安で同行してもらった友人が立派な小山担になりました。